MUSIC♪♪♪

PFCcV81F

音楽関係なら何でもあり♪オススメや画像でも何でもあり!!
  • [114] SS 2014/10/09 22:40

    PFCcV81F
    当時BOOWYの初期メンバーだった深沢の詳細


    フカサワ カズアキ
    深 澤  和 明
    〈生年月日〉1961年8月22日
    〈出身地〉埼玉県
    身長175cm 体重65kg B98cm W75cm H88cm S25.5cm
    〈特 技〉普通自動車免許 SAX演奏
    〈趣味/スポーツ〉映画鑑賞
    《 経   歴 》

    ◇音楽 82年BOOWYデビュー  「モラル」(アルバム)
    作詞「NO.NEWYORK」「WATCH YOUR BOY」  他
    ◇舞台 「IMAGINE9.11」 2007 (桑名正博 主演)
    「電柱小僧のぼうけん」 (演出:塚本晋也)
    「爆走ピエロ」 (萩原聖人:主演作品)
    「桃太郎裁判」 (萩原聖人:主演作品)
    「かなかぬち」 はみだし劇場 原作:中上健司
    「灰とダイヤモンド」 「十番街の殺人」 「水の上のナイフ」 劇団Dパノラマ
    「GRポイント」 場所:アトリエフォンティーヌ
    「ぼうしいっぱいの雨」 場所:アトリエフォンティーヌ
    「ゴドーを待ちながら」
    「どん底」 場所:萬スタジオ
    「三馬鹿時代」 場所:パンプルムス
    「盗聴家族」 場所:タイニイアリス
    「盗作ザ・ムービー」 場所:アートボックス
    「メル友の恋人はメル友のメル友」 場所:ウェンズスタジオ
    「ウィンドウ」 場所:大塚ジェルスホール
    「女神たちの住んでた所」 場所:アゴラ劇場    他多数
    ◇C M 「アクシアビデオテープ」 (矢沢永吉:主演作品)
    ◇Vシネ 「野良犬」 (大沢樹生:主演作品)

    尚、2011年に新宿ロフトで高橋まこと氏がやったBOOWY楽曲のライブでゲスト参加。NO N・Yを一緒に演奏して歌いトークも参加した。
    イイネ! 返信
  • [113] SS 2014/10/08 20:38

    PFCcV81F
    氷室京介〜詳細


    来年予定しているファイナルコンサートをもって、ライブ活動を休止することを電撃発表したロック歌手・氷室京介(53)が19日、横浜スタジアムで全国ツアー『25th Anniversary TOUR GREATESTANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION』の公演を開催。大勢のファンが注目するなか、活動休止の理由について“耳の不調”であることを明かした。 

    氷室は13日、山口・周南市で行われたライブ中、きょう19・あす20日の横浜スタジアム2日間公演をもって、「氷室京介を卒業する」と電撃発表。終演後に更新された公式サイトでは「来年予定されているファイナル公演をもって、氷室京介としてのコンサート活動を休止」する意向であることが改めて報告された。 

     この日、ファンの前で「ちゃんと報告します」とマイクを握った氷室は、「年のせいもあって耳が7年前くらいから右耳の調子が悪い」と告白。「ライブでは聞き耳は左なのでそれでやってたけど、(最近)左側の耳がどこかのトーンだけが聞こえない」と明かし、「これ以上やっていくのは無理」と神妙な面持ちで語った。 

     また、年齢的な問題も一因のようだ。デビュー25周年で全国50公演のロングツアーを敢行中で、「この歳で50本は正直、つらかった」と本音を吐露。「9本目の九州・博多でライブしたときに『今回のツアーで最後』だと、関係者やうちのかみさんにも伝えた」と決断に至るまでの経緯を明かした。 

     衝撃発表の真相を明かした氷室は、ファンに向かって「とりあえず長い間こうして支えてくれて、氷室京介はお前らが作ってくれた存在。お前らが作った氷室京介。きょうとあしたでお返しする。俺は自分の今のコンディションでできることをしっかりと考えてやる」と声を張ると、大歓声に包まれた。 

     ロック界のカリスマ的存在の氷室は、1982年にBOΦWYのボーカリスト「氷室狂介」としてデビューし、84年に現在の名前に改名。88年4月にバンドを解散、同年7月21日にソロデビューした。現在は3月に開幕したソロデビュー25周年ツアー(全50公演)中で、20日に同所でファイナルを迎えた。 



    氷室京介(ひむろきょうすけ)
    本名:寺西修(てらにしおさむ)
    別名:ヒムロック
    出生:1960年10月7日(年齢53歳)
    出身地:群馬県高崎市
    血液型:O型
    身長:公称172cm(サバ読みで実寸165cm)
    学歴:群馬県立藤岡高等学校(後輩にBACK-TICKの桜井,今井,星野,樋口等)
    職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
    担当楽器:ボーカル、ギター
    活動期間:1982年 - 1988年(BOOWY)、1988年 -(ソロ活動)
    事務所:Beat Nix

    略歴
    ・1982年、氷室狂介の名前で、ロックバンド・BOOWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。システムに組み込まれないという価値観と性急なまでの縦ノリビートが当時20歳前後の若者に絶大なる支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとしてビートロックを確立し、解散までの約6年間に日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残した(音楽評論家の間では、よく「BOOWY以前、BOOWY以後」と表現された)。

    ・1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。その後も、独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスがカリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与える。

    ・1994年、ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減ったが、日本でライブコンサートを開けば今でも全ての会場が満員になる。ロサンゼルスという環境を生かして、凄腕の外国人エンジニア、アーティスト、ミュージシャン等に自らオファーをし、自らをプロデュースするという形をとっている。

    実家の火災事件
    2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負っている。この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がない事を報告。同日、氷室の実家を放火した37歳の女が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕、後に熱狂的な氷室、BOOWYファンによる犯行である事も明らかになった。また、布袋によると過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあった事も明かされている。

    結婚歴
    BOOWY時代のおっかけのファンと1983年に結婚。嫁は一般女性なためプロフィールや顔写真は公開されていない。子供は息子が2人と娘が1人。長男は1988年、次男は1989年、長女は1995年に生まれており、アメリカに住んでいる。
    ↓氷室の家族一同と結婚式の写真
    イイネ! 返信
  • [112] SS 2014/10/07 19:47

    PFCcV81F
    過去の記事より

    ■桃井がYOSHIKI、氷室とパーティ

     女優・桃井かおりが5日までに自身のブログで、ミュージシャンのYOSHIKI、氷室京介、俳優・真田広之らと米ロサンゼルスでハロウィン・パーティを開いたことを報告している。

     映画でも共演経験のある真田とはともにロサンゼルスを拠点に、ハリウッド作品など海外作品にチャレンジする俳優仲間。意外なのは、YOSHIKI、氷室との交友関係だが、桃井はブログで「(ハロウィンの)夜は氷室邸でYOSHIKIさん、真田君らと大人のパティーをしました」と楽しそうに4ショットの写真を掲載している。一応全員コスプレw

    なんやこの組み合わせ…あかんやろww
    イイネ! 返信
  • [111] SS 2014/10/06 11:52

    PFCcV81F
    SoftBALET(後期)

    全部通して聞いてないけどなんだかロック化してた模様w
    遠藤はENDSの面影が抜けず白いタンクトップに長渕ばりのムキムキになり訳のわからんダンスをし、森岡は変わらずクネクネダンスをハードにした感じで藤井はヤル気なくなぜかギター中心に。w
    過去のSBを思い描いたら終わりますwww
    やはり活動休止前の藤井楽曲がナインチネイルズとかミニストリーっぽくてSS的には好きだったが…w
    イイネ! 返信
  • [110] SS 2014/10/05 17:39

    PFCcV81F
    SOFT BALET



    * 遠藤遼一(えんどう りょういち、1967年12月6日、血液型不明、ヴォーカル)
    オペラ歌手のような独特な歌唱法と低い声が特徴。その優れた声質を買われてバンド解散後はCM等でナレーションもしていた。ルックスの良さにも定評があった。現在はendsとして活動中。

    * 藤井麻輝(ふじい まき、1965年8月17日、B型、キーボード、ギター)
    ライブではほとんど動かず、直立不動で客をにらみつけている。後期では顔を隠すことが多くなりガスマスク姿で演奏していた。BUCK-TICKの今井 寿とのユニットSCHAFTや女性ボーカルとのユニット、睡蓮としても活躍。1996年に結婚、妻は歌手、女優、タレントの濱田マリ。

    * 森岡賢(もりおか けん、1967年3月15日、B型、キーボード)
    藤井とは対照的にライブでは所せましと動き回り、扇子を持ってはクネクネしたダンスを踊り、ライブではキーボード兼ダンサーでもあった。KEN MORIOKA名義でソロ活動もしている。父は作曲家、編曲家の森岡賢一郎。
    イイネ! 返信
  • [109] SS 2014/10/04 18:15

    PFCcV81F
    活動休止前の最期の作品。俺が知る最後のアルバム、そしてこれのtour finalをRs氏と見に行ったのである意味で印象深い(苦笑)
    1995年4月リリースの6th『Form』
    前作で遣り切ったか?若しくは限界だった?1994年は藤井はB-T今井寿とのSchaftを本格始動、森岡はソロを制作。
    1年半振りの今作は何と合宿(!)を経、3人での共作を多数含み大きく変貌した作品となった。
    えっ?と驚く程に弾けた「You」や「Phoenix」、当時の旬だったトリップホップ等と共振した「Perfection」「Ride」、ニヤリとしてしまう強烈なインダストリアル/アンビエント・ナンバー「U」、これまた驚きなブルージーなナンバー「No-One Lives On Mars」、3人が交じり合わず並列する「Jail Of Freedom」、そして辿り着いてしまったかの様な「Last Song」「Roman」・・・
    全楽曲の最終的なトリートメントを藤井が担当し、1st以来の纏まりもある。
    3人のやりたい事ではなく、先ず今のSoft Balletで出来る事を優先したかの内容。それぞれのやりたい事を別にやれる場が出来たのも大きいのか?
    通してスンナリ聴けるし、幅広くお勧めもできるアルバム。
    で、実際売れた。『愛と平和』以来の高いセールスになったし。
    しかし、よく指摘されてる様にこじんまりとしてしまったのも事実。エゴのぶつかりがなくなった為角が取れちゃったか?だからすぐ物足りなくなっちゃうんだよな〜
    ただ、この路線でもう2、3枚続けてれば歴史は変わってたでしょう。無理だったろうけど。
    でも、今ならそんな諸々を忘れて素直によく出来たポップ作品だと楽しめる…か。
    良作。
    布袋寅泰が参加。
    イイネ! 返信
  • [108] SS 2014/10/03 13:31

    PFCcV81F
    個人的にはこれがSBの最高作品の様な気がする。

    1993年11月リリースの5th『Incubate』
    一部では最高傑作の声も上がる作品。実際音楽的にはこの辺がピークだろう。前作では森岡&藤井両氏積極的に共作したりしてましたが、あんまり手応えが無かったのか、一転して森岡サイド・藤井サイドでスタジオもエンジニアも分けて、完全にお互いに干渉せずに制作。
    そのお陰か(?)音楽性が異様に高まり、結局グループである必要性は?との究極の疑問に行き着いてしまった作品。だって遠藤のヴォーカルが無ければ全く違うグループの音!
    高い高い遠い遠い場所まで連れて行ってくれる「Parade」、高尚と下世話が共存する「White Shaman」、高級なキルトの様な肌触りの「Phase」、世界はそれでもやっぱり美しいのだと突く「Engaging Universe」、混沌すら味方にする「Marble」・・・怖くなる程の高揚感でどこまでもポップに突き抜ける森岡楽曲。
    奇妙な電子音とポエトリー・リーディングが溶け合う「Transcode」、壮大な浪漫を求め彷徨う最高傑作『ニクコロ』こと「Deep-Sets」、残酷さと美しさが繊細なハーモニーを奏でる「Infantile Vice」、サーヴィス精神一杯のインダストリアル・ナンバー「Piled Higher Deeper」、静寂と騒音が恐るべき構築美で共存する「Gene Sets」・・・音楽と音の境界を縫うかの様な純音楽度を高めた藤井楽曲。
    そしてそんな水と油な楽曲群を奇跡的に結び付けてしまえる説得力と柔軟さを持ってしまった遠藤のヴォーカルも一つのピークを迎えた。歌詞も抽象的であるのに奥まで沁みるんだ。
    これはもう邦楽界の遺産。
    ゴンチチやThe Mad Capsule Marketsの面々が参加してます。
    イイネ! 返信
  • [107] SS 2014/10/02 13:46

    PFCcV81F
    後期のSBアルバム紹介!!

    1992年10月リリースの『Million Mirrors』
    Victorへ移籍しての第1弾。今一番再評価されるべき作品だと思うな。
    移籍に伴い暫し休養。デビュー以来半年毎にアルバムをリリースして来たので久々の作品。それでも1年半程のスパン。それでこの変貌は凄いなー。通常のグループなら3〜5作ぐらいの開きがある進化・深化ですよ。
    前作の攻撃的な勢いはどこへやら?ゆったりと浮遊したり沈み込んだりする電子のパルスが明滅する空間を縫う低音ヴォイス。歌詞も抽象を極め、まさに幾通りもの鏡が映し出すそれぞれのイメージの如く同じ事象が幾重にも姿を変える。
    重低音に儚い煌きが優しくあなたを縛る「Whole The Whole」、広がる悲劇の情景に人類の普遍的な業が浮かび上がる「Vietnam」、ロックへの鎮魂を込めた解体実験「Instinct?」、逃れられる事の出来ない哀しみをお伽噺に託し永遠に鳴り響かす「Fairy Tale」、これから踏み込む境地を思い只一瞬だけの安息を求めたかの様な「Meddler」・・・ラストに収められた前作までのイメージを汲む「Threshold」の2ヴァージョンはあくまでオマケだ。
    冥盤。
    藤井の盟友B-T今井寿が地味〜に参加してたりする。
    イイネ! 返信
  • [106] SS 2014/10/01 12:30

    PFCcV81F
    昨年、BUCK-TICKのデビュー25周年を記念して制作され、現在後篇「U」が全国の各映画館で絶賛上映した映画『劇場版 BUCK-TICK 〜バクチク現象〜』。前篇「T」上映開始直後から平日・休日関係なく会場によっては当日券の売切れ満員御礼の状況が続く中、新たに埼玉県で7月6日、長野県で7月13日、鹿児島県・熊本県で7月20日からそれぞれの県の映画館で追加上映が始まるなど、まさに“バクチク現象”というタイトルに相応しい状況に発展していた。

     

    そんな“バクチク現象”は映画だけに留まらず、夏フェスへも波及することになった。1昨年のBUCK-TICKデビュー25周年を記念して開催された「BUCK-TICK FEST2012 ON PARADE」へ出演していた氣志團が地元である千葉県で開催する「シミズオクト Presents 氣志團万博2013 〜房総爆音梁山泊〜」へ今度はBUCK-TICKが出演した。

     

    BUCK-TICKと氣志團は1昨年のBUCK-TICK全国ツアー「TOUR PARADE 2012」大阪公演でも対バンを行っており、「BUCK-TICK FEST2012 ON PARADE」出演時のステージ上では、綾小路翔が「これはBUCK-TICK様の後継者選びのフェスです!私どもがBUCK-TICK様の最有力後継者です!」と観衆を前に発して会場を大いに盛り上げるなど、お互いがバンドとしてリスペクトし合い、先輩後輩の関係を超えて日ごろから交流を交わす間柄でこそ実現した出演オファーであり、まさに“バクチク現象”と“氣志團現象”のコレボレーションが今年も実現された。

     

    さらに、1昨年50歳を迎えるも衰えを微塵も感じさせずにBUCK-TICKサウンドを後ろから支え続けるドラムのヤガミ・トール。彼の51歳の誕生日を祝う誕生ライブ「Yagami Toll 〜51st Birthday Live〜「IT’S A NOW !」2013」が昨年初めて東京と大阪の二大都市で開催されることが決定した。ヤガミ・トールを中心として結成されたバンド、Yagami Toll & New Blue Skyが出演しBUCK-TICKとはまた一味違うドラム・サウンドを披露しながらも、BUCK-TICKの屋台骨であるヤガミ・トールを間近で体感することの出来るまたとないチャンスでもあるのでこの先見逃せない!

    ちなみにアニイのバンドはキャロルのコピーバンドwww
    イイネ! 返信
  • [105] SS 2014/09/30 11:01

    PFCcV81F
    10

    布袋と氷室が和解して欲しい、BOOWYの再結成までは望まなくても二人が同じステージに立つ姿を一度でもいいから見てみたい。そう願うファンも多い。もちろん、二人の不仲説や確執が今もって続いているかどうかの確証は無い。しかし、二人の中に切り忘れた尻尾が今も残っていること、そして一生切らないと心に決めていること、それが彼らなりのケジメなのかも知れないとも思ってしまう。
    BOOWYという名前を口にするとき、その楽曲の魅力はもちろんだが、どこか切ない、やるせない響きを感じてしまう。それはBOOWYが辿った運命、そして氷室と布袋のその後の生き様が人の心を打つからである。「バンド」がただの音楽家集団ではなく、人生そのものだということ。それは決して明るく輝かしいだけでは無いということ。BOOWYを通じてそれを知るからである。
    これを書き込む今日、12月24日は彼らが解散宣言した渋谷公会堂から数えて26回目のクリスマスイブである。BOOWYと共に青春時代を過ごした人たちにとっては少しだけ苦い思い出の残るクリスマスイブになるのだろうか。そして今日、布袋も氷室もあの夜のことを心のどこかで思い返すのだろうか。多くの人が切り忘れた青春の尻尾を、愛おしく切なく思い返す。そんなクリスマスイブになるのだろうか。
    イイネ! 返信
  • [104] Rs 2014/09/29 23:25

    ≫101

    清春氏、完全に持ち歌のようだし、氣志團に関してはSS氏が言ってたように完コピだな😅
    イイネ! 返信
  • [103] Rs 2014/09/29 20:32

    ≫100

    ものまね番組で、まさかの後ろから本人歌いながら登場〜っぽくなってたな(笑)
    イイネ! 返信
  • [102] SS 2014/09/29 18:12

    PFCcV81F
    9

    「結婚ということの意味をまったく分かっていなかった」布袋は山下との結婚生活についてこう振り返っている。
    布袋の現在の夫人である今井美樹も現役のシンガーである。二人の間には小学生の娘さんが一人いる。今井がライブツアーに出て不在の時は、布袋が朝食を作り、娘さんのお弁当も作るという。それはミュージシャン夫婦でなくとも、共働きの夫婦であればよくある風景である。お互いの立場を理解し、助け合う、そんな結婚の意味を布袋は改めて知ったのだろうか。山下との結婚生活はそれを理解するための犠牲だったのかも知れない
    バンドもまた同じだ。個性の違うメンバーが集まり、お互いに足りないところを補い合い、役目を果たすことで活動が継続される。しかし若さという無限大のエネルギーを持って膨張する自我は、やがてエゴイズムとなって制御ができないまま暴走してしまう。青春という輝かしさの中に生まれる、どうしようもない蹉跌。それは時として一生埋めることのできない溝、決して治癒することのない傷跡となる。だからこそ切なく、罪深い。

    GLAYやMr.Childrenのように、プロフェッショナルとして活動を維持し、長きにわたりファンを満足させるバンドも素晴らしい。サザンオールスターズやラルクアンシエルのように、メンバーのソロ活動や休止期間をバランスよく取りながらバンドとしての形を継続させるのも素晴らしい。しかし、まるで夏の夜の花火にように瞬間に輝き、若さゆえの感情のズレから砕け散ってしまったBOOWYもまた「バンド」ならではの人間味にあふれていると思うのだ。それは人生と同じ、とてつもなくはかなく危うい。
    嫌なものをスパッと断ち切ること、人はそれを「トカゲの尻尾を切る」と例える。しかし、切りたくても切れない尻尾もある。青春時代の忘れてしまいたい過ち、断ち切りたい罪、そんな思いが切ることもできないまま心に深く残る。しかし、例え間違いであったとしても、後悔することであったとしても、一度は夢見た思いである。あらゆるものを犠牲にしても叶えたい願いだったはずである。切ることができないまま尻尾を抱え、それでも意地を張りながら生きていく。そんな不器用な生き方もあってもいいと思うのだ。
    イイネ! 返信
  • [101] SS 2014/09/29 09:29

    PFCcV81F

    ≫100

    済ww
    イイネ! 返信
  • [100] 2014/09/29 09:19

    E10Ojkti

    ≫99

    櫻井アッチャソが登場して、アビンドン撃沈のVをRs氏に見せてあげないと(笑)
    西川君、食われたぁ〜顔してる…
    ちょっと櫻井氏にはキー高いのに(笑)
    イイネ! 返信
  • [99] SS 2014/09/28 22:27

    PFCcV81F

    ≫98

    あのトリビュートはアビンドンのdressが一番だな、俺的には。
    イイネ! 返信
  • [98] Rs 2014/09/28 20:50

    今日、B.Tトリュビートをリンゴ好きなヤツに勧められて初めて聴いてみたら、超イイな(°_°) 清春、TM、氣志團etc …クオリティ超高え(;゜0゜)
    イイネ! 返信
  • [97] SS 2014/09/28 17:35

    PFCcV81F
    8

    BOOWYを結成したばかりの頃、布袋と氷室は寝食を忘れて連日、安アパートで共に曲作りに取り組んだ。腹が減ればカップラーメンを分け合って空腹を満たし、食べ終わると容器を灰皿代わりにまた曲作りに没頭する。世間に自分たちの音楽を知らしめる、その夢だけあれば良かった。しかし、いざ成功を手に入れると今度はアーティストとしての自我が首をもたげてくる。もちろん、それはアーティストの宿命であり本能である。そしてそれは時に人を傷つけ、友情を破壊する。
    布袋は山下久美子と1997年、離婚している。12年間の結婚生活。破局の理由については、布袋が後に再婚することになる今井美樹との不倫、略奪愛だったとも言われている。確かに山下久美子の自著を読むと、そう思わせる記述もある。しかし、その著書には、今井美樹と関係なく布袋との夫婦生活が徐々に壊れていく様子も生々しく語られている。
    結婚当初、山下は女性ロックシンガーとして既に大スターの地位を確立していたが、BOOWYはまだ一部ファンにしか名前を知られていない状態だった。布袋との結婚は今で言う「格差婚」だったのだ。布袋は山下との交際中のエピソードとしてこんなことを語っている。二人で寿司店に行った際のこと。布袋はウニが食べたかったのだが値段が高いのではと不安になり、頼むのをためらったという。それくらい二人の間には「格差」があったのだ。山下はいつも古着を身に付けていた布袋が、それでもギターをかき鳴らしながら音楽を熱く語る姿を見るのが好きだったという。しかし、結婚の後BOOWYは急激にスターの座へ登りつめていく。それに伴い、布袋の音楽家としての才能も一気に花開く。ウニを頼むことすら躊躇していた無名の青年がビッグアーティストへ変貌していくのを山下はただ見守るしか無かった。
    しかし、山下久美子もまたアーティストだった。彼女自身、その自我もある。アーティストとしてどんどん差が付いていく布袋との距離。それは時に焦りになり、不安要素になる。布袋もまた急速に成長していく自分の才能に戸惑い迷う中で、多くのストレス、プレッシャーを抱える。やがて二人はその行き場の無い感情をお互いにぶつけ合うようになってしまう。繰り返される争いごと、それは時に暴力沙汰にまでエスカレートすることもあったという。お互いに相手を尊重し、譲り合い、受け入れ合うという結婚の本来の意味を分かることなく、二人の夫婦生活はやがて終焉を迎えることになった。
    イイネ! 返信
  • [96] SS 2014/09/27 13:36

    PFCcV81F
    7

    震災が起こる1ヶ月程前のこと、布袋は音楽活動30周年を記念してのライブを自身が50歳になった誕生日の2月1日に日本武道館で行っている。キャリアの集大成の意味を込めて、懐かしいBOOWY時代の楽曲も多く演奏された。その中で1曲、ファンが驚く選曲があった。それは「Cloudy Herat」という一曲。前述のように、BOOWYの楽曲の大半は布袋の作曲である。しかし、この曲は氷室の作詞・作曲による作品。この日、演奏された多くの曲の中で唯一、自分以外の作曲作品だったからである。この曲の中にこんなフレーズがある。
    Cloudy Herat 傷つけてばかりだったけど
    Cloudy Herat お前だけを愛してた
    この歌詞からも分かるように、男女の別れを歌った曲である。恋愛中はわがままを言って恋人を困らせ傷つけていた主人公が、いざ彼女が去った後に深い自責の念にとらわれる。氷室が無名時代、同棲していた彼女との別離を歌ったものだとも伝えられている。BOOWY解散後、この曲を布袋は一度もステージで演奏したことは無い。だからイントロが流れたとき、観衆は大きくどよめいた。しかし、さらにファンを驚かせることが起こった。
    歌いだしのタイミングになっても布袋は口を開かなかった。ただ黙ってギターだけを弾き続ける。代わりに観衆が一斉に歌い始める。布袋は目を閉じたまま武道館を満たすファンの歌声をじっと聴きながら、淡々と演奏を続ける。そして最後まで一度もマイクに向かうことは無かった。「Cloudy Herat」は確かに男女の別れを歌った曲。しかし、幸せなときにはそれに気づかず、それを失ったときに本当に大切だったものは何かを知る。それは男女の恋愛に限ったことでは無い。あの日、振り返れなかった自分、氷室の思いに背を向けてしまった自分、そんな思いを布袋は曲に重ね合わせていたのでは無いだろうか。「Cloudy Herat」のボーカルを1フレーズたりとも歌わなかった布袋。それはいつかは自分の横で氷室に歌って欲しいという思いの現れだったような気がするのだ。
    「Cloudy Herat」についてはもうひとつ、気になることがある。2003年のこと、氷室はソロ活動15周年を記念してベストアルバムを発表した。その中で、BOOWY時代に自分が作詞作曲を手掛けた曲を3曲、セルフカバーしている。その中の1曲が「Cloudy Herat」なのだが、ピアノだけをバックにした弾き語りスタイルにアレンジされていた。つまりギターを入れていないのである。これを布袋以外のギタリストが弾く「Cloudy Herat」を音源として残したくないという氷室の意思だったと思うのは勝手な想像だろうか。
    イイネ! 返信
  • [95] SS 2014/09/26 14:16

    PFCcV81F
    6

    彼らは翌年4月に東京ドームにてラストライブを行っているが、以後、今日に至るまでBOOWYとしての活動は一切無い。その間メンバー同士の交流がまったく無かった訳ではない。氷室のステージに高橋まことが飛び入りしたり、布袋のライブツアーに松井恒松が参加したりの事実はある。しかし、氷室と布袋はステージ上での共演はおろか、公式の場で写真に収まったことすら無い。BOOWYの解散後は二人共にソロミュージシャンとして大成功を収めているし、最近の若い人の中には二人がバンドを組んでいたことすら知らない人も多い。それでも毎年のようにメンバー達が関与していないところで企画物のCDやDVDが発売され、それなりのセールスを上げている。そしてその度に出ては消える再結成を希望する声。
    その機運が最も盛り上がったのは2011年の大震災のときのこと。今こそBOOWYを再結成し、チャリティライブを行うべきだという声である。莫大な収益金が望めるのはもちろん、20数年に及ぶファンの思いが叶うということが復興への希望につながること、そして氷室と布袋が再び手を結ぶことこそ何よりの「絆」を生むことにつながるという声である。しかしその年の6月、東京ドームで氷室は単独で全曲BOOWYでのチャリティライブを行った。それを受けて布袋もブログ上でコメントを発表、自身がBOOWY再結成を望んでいたことを告白している。布袋が望んでいる以上、BOOWY再結成は氷室の返事次第、ファンの誰もがそう確信した。しかしこのタイミングで氷室は単独でのライブを決行してしまったのでる。それも他メンバーには一切声をかけていなかったことから、理由はどうあれ氷室自身がBOOWY再結成をまったく考えていなかったことが想像できる。
    氷室と布袋の間には、まだ壁がある。決して消えることの無い確執がある。多くのファンはその思いを強くした。果たして二人はどう考えているのだろうか。
    イイネ! 返信