氷室京介〜詳細
来年予定しているファイナルコンサートをもって、ライブ活動を休止することを電撃発表したロック歌手・氷室京介(53)が19日、横浜スタジアムで全国ツアー『25th Anniversary TOUR GREATESTANTHOLOGY -NAKED- FINAL DESTINATION』の公演を開催。大勢のファンが注目するなか、活動休止の理由について“耳の不調”であることを明かした。
氷室は13日、山口・周南市で行われたライブ中、きょう19・あす20日の横浜スタジアム2日間公演をもって、「氷室京介を卒業する」と電撃発表。終演後に更新された公式サイトでは「来年予定されているファイナル公演をもって、氷室京介としてのコンサート活動を休止」する意向であることが改めて報告された。
この日、ファンの前で「ちゃんと報告します」とマイクを握った氷室は、「年のせいもあって耳が7年前くらいから右耳の調子が悪い」と告白。「ライブでは聞き耳は左なのでそれでやってたけど、(最近)左側の耳がどこかのトーンだけが聞こえない」と明かし、「これ以上やっていくのは無理」と神妙な面持ちで語った。
また、年齢的な問題も一因のようだ。デビュー25周年で全国50公演のロングツアーを敢行中で、「この歳で50本は正直、つらかった」と本音を吐露。「9本目の九州・博多でライブしたときに『今回のツアーで最後』だと、関係者やうちのかみさんにも伝えた」と決断に至るまでの経緯を明かした。
衝撃発表の真相を明かした氷室は、ファンに向かって「とりあえず長い間こうして支えてくれて、氷室京介はお前らが作ってくれた存在。お前らが作った氷室京介。きょうとあしたでお返しする。俺は自分の今のコンディションでできることをしっかりと考えてやる」と声を張ると、大歓声に包まれた。
ロック界のカリスマ的存在の氷室は、1982年にBOΦWYのボーカリスト「氷室狂介」としてデビューし、84年に現在の名前に改名。88年4月にバンドを解散、同年7月21日にソロデビューした。現在は3月に開幕したソロデビュー25周年ツアー(全50公演)中で、20日に同所でファイナルを迎えた。
氷室京介(ひむろきょうすけ)
本名:寺西修(てらにしおさむ)
別名:ヒムロック
出生:1960年10月7日(年齢53歳)
出身地:群馬県高崎市
血液型:O型
身長:公称172cm(サバ読みで実寸165cm)
学歴:群馬県立藤岡高等学校(後輩にBACK-TICKの桜井,今井,星野,樋口等)
職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器:ボーカル、ギター
活動期間:1982年 - 1988年(BOOWY)、1988年 -(ソロ活動)
事務所:Beat Nix
略歴
・1982年、氷室狂介の名前で、ロックバンド・BOOWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。システムに組み込まれないという価値観と性急なまでの縦ノリビートが当時20歳前後の若者に絶大なる支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとしてビートロックを確立し、解散までの約6年間に日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残した(音楽評論家の間では、よく「BOOWY以前、BOOWY以後」と表現された)。
・1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。その後も、独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスがカリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与える。
・1994年、ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減ったが、日本でライブコンサートを開けば今でも全ての会場が満員になる。ロサンゼルスという環境を生かして、凄腕の外国人エンジニア、アーティスト、ミュージシャン等に自らオファーをし、自らをプロデュースするという形をとっている。
実家の火災事件
2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負っている。この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がない事を報告。同日、氷室の実家を放火した37歳の女が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕、後に熱狂的な氷室、BOOWYファンによる犯行である事も明らかになった。また、布袋によると過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあった事も明かされている。
結婚歴
BOOWY時代のおっかけのファンと1983年に結婚。嫁は一般女性なためプロフィールや顔写真は公開されていない。子供は息子が2人と娘が1人。長男は1988年、次男は1989年、長女は1995年に生まれており、アメリカに住んでいる。
↓氷室の家族一同と結婚式の写真