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PFCcV81F

音楽関係なら何でもあり♪オススメや画像でも何でもあり!!
  • [94] SS 2014/09/25 19:53

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    5

    実はこの日のライブでファンに解散を表明することは決まっていたのだが、それをどの段階で、どんな言葉で報告するか。それは氷室にすべて委ねられていたという。当日、会場はソールドアウト、それでもチケットを入手できなかった多くのファンが会場を取り囲む。ただならぬ緊張感の中、ライブは進行していく。熱狂の内に本編が終了し、アンコールに突入する。アンコールの1曲目が終わっても、氷室は何も語らない。アンコールでは2曲が披露される予定だったから、チャンスはもう次の曲でしかない。この日のライブは映像化されることが決まっていたため、カメラが回されていた。アンコール1曲目が終わって、一旦控え室に戻るメンバーをカメラが追いかける。控室内、椅子に腰掛けるメンバーもいれば、煙草に火を付けるメンバーもいる。そんな中、一人席を立つ氷室。それは通常のひと休み時間より短かったのだろう、驚いて後を追うメンバー。ステージへと向かう廊下を一人歩く氷室の表情をカメラが捉える。その表情は険しく重い。そしてステージ上にメンバーが揃い、氷室が口を開き、初めてバンドの今後について言及した。
    氷室はここで「メンバーがそれぞれにできる音楽をやっていく」という言葉を使っている。そこには解散という文字は無い。そして話しながら何度か左後ろに位置する布袋の方を振り返っている。この様子を背後のドラムセットから見ていた高橋まことはこう話している。
    「あのとき、もし布袋が氷室と目を合わせていたら、氷室はその場で解散を撤回していたと思う」
    だからこそ解散という言葉を使わなかったのだと。もし布袋が目を合わせてくれたら、一瞬でも意思が通じ合えたなら、氷室はBOOWYを続けていけると考えのだろう。
    しかし、布袋は氷室に背を向け、腕組みをして口を開かない。カメラが捉える布袋の表情からは何かを必死に堪えているように見える。
    「俺はもう決めたんだ、後戻りはできないんだ。ここで振り返る訳にはいかないんだ」
    その表情からは布袋のそんな叫び声が聞こえてきそうだ。そして目に涙を浮かべて布袋の背中を見つめる氷室。何度見ても息が詰まるような数十秒間。それはBOOWYの歴史にピリオドが打たれることが決定的になった数十秒間である。1987年12月24日クリスマスイブの夜のことだった。
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  • [93] SS 2014/09/24 18:42

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    4

    布袋は当時、女性ロックシンガーの山下久美子と結婚しており、彼女の楽曲制作やプロデュース、ライブでのサポート活動などを手掛けていた。布袋は山下久美子のライブツアーのバックメンバーに、ドラムとして高橋まことを誘ったのだ。高橋が詳しく話を聞くと、ベースの松井恒松にも声をかけているという。高橋は驚いてその話を留保した。このままだと、BOOWYの4人のうち3人が山下久美子のツアーに参加することになる。氷室はボーカルだからバックバンドに参加できないのは仕方ないとしても、端から見ればどうしても「3対1」の構図になってしまう。ここぞとばかりメンバーの不仲説を書き立てるマスコミも出てくるし、そんなものが世に出ればファンを不安にさせるだけにしかならない。この大事な時期に、そんなことは避けるべきだ。高橋はさすがメンバー最年長だけあって大人の対応をした。
    しかし、それが人を介して氷室の耳に入ってしまったのだ。そのタイミングで氷室は解散の意見に合意したと伝えられている。布袋がどんな思いを持って山下久美子のバックとしてBOOWYメンバーに声をかけたのかは分からないし、それが氷室の解散合意の理由なのかどうかは分からない。しかし、その一件を持って氷室と布袋の関係に何らかのズレが生じてしまったのは事実のようだ。というのもそれ以来、氷室と布袋が直接会話する機会がほとんど無くなってしまったという。高橋まことの記憶によると何らかの決め事がある場合、氷室と布袋が直接意見を交わすのでは無く、高橋が間に入ってお互いの意見を伝え合っていたという。高橋は両者に何度も「それはよくない」と忠告したらしいが、話は聞き入れられなかった。そして1987年の12月24日、渋谷公会堂、彼らが解散を表明した伝説のライブを迎えるのである。
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  • [92] SS 2014/09/23 21:34

    PFCcV81F
    3

    BOOWYの楽曲の魅力、それは誰もが口ずさめるポップで覚えやすいメロディーだったことだ。硬派なロックにこだわるあまり、ポップになることを良しとせず、結局マイナーなままで終わったバンドは当時多かった。例えばルースターズ、ARB、アナーキーといったバンドはそれぞれ実力はあったし、一部の熱狂的なファンは獲得していたが、メジャーシーンであるヒットチャートにその名前が出ることは無かった。前述のように、布袋は不良の延長のような硬派なロックを指向していなかった。もっと柔軟にロックを捉えていたのだ。それは現在の布袋のジャンルを超えた幅広い音楽活動につながっている。
    そしてもう一つが氷室京介の存在だ。氷室のボーカルは、ビートにまかせてのシャウトではなく、メロディーを活かすことのできる上手さと声質が特長である。これは布袋も認めていて「彼のボーカルに合わせてギターが一緒にメロディーを歌う感じ」と表現している。聴く人を限定するような硬派でマニアックなものではなく、誰もが楽しめるロックサウンド。それも女性を中心とした新規ファンの拡大を後押しする。

    しかし、布袋が最も敬愛するミュージシャンはデビッド・ボウイ。その魅力は常に変化する音楽性にある。ポップになったかと思えば、理解しがたいような難解でシュールなものになったり、常にファンの想像を超えてゆく大胆な変化こそがその魅力なのである。もちろん布袋の目指すところもそこあったはず。ところがBOOWYは短期間に急激にブレイクしてしまった。多くの利権や思惑が入り込んでくる。売れない時代のように、自由で突飛な発想を提案することもままならなくなる。周囲がBOOWYに求めるサウンド、それは彼らを成功に導いた氷室京介のボーカルを活かしたポップで覚えやすいサウンドでもある。そしてルックス面での人気も相まって、どうしても氷室を前面に押し出すことになる。
    現在はともかく、当時、バンドといっても花形はやはりボーカリストである。布袋はBOOWYでテレビ出演した際、テレビ局のスタッフに「ボーカリストとバンドさん」という呼び方をされ、結局そんな認識しかされていないのかと落胆したことがあったらしい。
    このままだと自分はいつまでたっても氷室京介のバックメンバーの一人でしかいられないのでは無いか。そんな焦りが布袋を襲っていたのではないかと思うのだ。それでもビジネスとして考えればBOOWYとしての成功は手に入る。しかし、当時布袋は24か25歳である。しかもBOOWYの急激なブレイクに伴い、彼の音楽家としての才能も急激な勢いで開花していった。自分の中にわき起る様々なアイディア、これもやってみたい、あれもやってみたい。敬愛するデビッド・ボウイのように、ファンの期待や想像を上回るような音楽を創り出したい。その思いはビジネスとしての成功などと引き換えられるようなものでは無かった。もちろん、BOOWYとしての活動を少し休めて、個人的なソロ活動をしてみる、という選択肢も無くはない。しかし、戻る場所を予め決めておくといった保険をかけるようなやり方を当時の布袋が望んでいたとは思えない。やるならオールorナッシングだ。さらに、周囲の人間の期待を考えれば、人気絶頂のBOOWYの活動を一時的にしろ休止することは許されなかったことは容易に想像できる。布袋にとってそんな焦りや不満が、やがて氷室に対するジェラシーや対抗心に変わっていったとしても不思議は無い。
    氷室はそんな布袋の心境も十分理解していたのだろうと思う。だからこそ、布袋から解散の提案が出たときも、それに対する明言を避けたのだろうと思うのだ。バンドというものは決して一人で成り立つものでは無い。フロントで目立つ人もいれば、それをバックで支える人もいる。BOOWYの今後に対して、もう一度全員で腹を割って話してみよう、そのためにも少し距離をとってみよう。氷室は彼なりにそんな希望を持っていたのではないだろうか。ところが布袋はその間、意外な行動を取ってしまう。
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  • [91] SS 2014/09/22 09:00

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    2

    いろいろと謎の多いBOOWYの突然の解散だが、最初にメンバー内で解散の話を切り出したのは布袋寅泰である。これは布袋本人も認めているし、実際に本当のことだろうと思われる。頂点を極めて、これからどうするかの話の中で
    「このまま勢いに乗っていくことはできるが、逆にメンバーそれぞれに自分だけでやっていける道を見つけることも大切じゃないだろうか」
    概ね、こんなニュアンスでの話だったようだ。具体的に「解散」という言葉が出たのかどうかは分からない。しかし「別々の道を進むべき」という提案であり、それが解散を意味することには違いない。ドラムの高橋まことの著書によると、そのとき氷室は布袋の提案に何も答えず、黙って部屋を出て行ったという。そして高橋は「氷室はもっとBOOWYを続けたかったはず」と述懐している。そもそも何故、布袋はBOOWYの休止を提案したのか。それを考えるには、当時のBOOWYの中での布袋のポジション、そして氷室のポジションを考えなければならない。

    当時、BOOWYのほとんどの楽曲を作曲していたのは布袋である。さらに布袋の場合ただ作曲するだけでなく、メンバーの楽器演奏のアレンジまで事細かに決めていたという。それも布袋の勝手な判断ではなく、メンバーの個性や好みまですべて考えてのことだった。高橋は布袋の決めたドラムの演奏についての指示が「自分ならこう叩く」という意思にぴたりと合っていて何度も驚かされたという。つまり、布袋はただの作曲担当の枠を超えて、バンド全体のアンサンブルまで考えて楽曲を制作していたことになる。また、ライブにおいてもサイドギターやキーボードがいないBOOWYでは布袋の役目は大きい。カッティングからソロまで、ほぼ一人で音の厚みを創り出さなければならないし、ただ演奏するだけでなく客を引き付けるアクションやパフォーマンスも必要になる。
    また、バンドのビジュアル面でも布袋はいろいろとアイディアを繰り出した。布袋はもともと、デビッド・ボウイやロキシー・ミュージックといったモダンで先鋭的なヨーロッパ系のロックに大きな影響を受けている。だからTシャツにジーンズでステージに立つ、というスタイルは彼の中ではあり得ないのだ。常に洗練され、スタイリッシュでなければならないと考えていたのである。BOOWYはステージ衣装にJ・P・ゴルチエのスーツをよく使っていた。これも布袋のアイディアで、彼は人気の出るかなり前に、自らゴルチエのオフィスに押し掛けて、BOOWYがいかに可能性があるバンドかを熱心に説明し、ちゃっかり衣装提供の話をまとめてきている。そしてBOOWYといえば髪の毛を逆立てた独特のスタイルが印象的だが、これも布袋の発案だ。しかも、初期の頃は専属のスタイリストとかもいないから、布袋がスプレーを使ってメンバーの髪を逆立てていたらしい。彼が自分の髪を逆立てるのはその後になるため、ステージに向かうのはいつも最後になっていたという。
    こうしてサウンド面、ビジュアル面ともにBOOWYを支えていた布袋なのだが、当時のライブの様子を見るとどうだろうか。ステージ上で圧倒的な存在感を発揮しているのはやはりボーカルの氷室京介なのである。もちろん、ボーカリストだから目立つのは当然だし、氷室が恵まれたルックスを持っていたことも大きい。しかも、急激なブレイクのせいでそれまでのマニアックなファンを上回る新しいファンが殺到する。その中心となったのはやはり若い女性ファンである。そして彼女らの注目が氷室に集まってしまうのは仕方が無いことだ。布袋も当時を振り返り「誰も俺のギターなんか聴いていないじゃないか」と思ったと告白している。
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  • [90] SS 2014/09/21 11:20

    PFCcV81F
    BOOWY特集
    ちょい氣志團続き過ぎたので(苦笑)
    続けてBOOWY関連の記事を載せていくのでよろしく♪


    ここ数年、 1980〜90年代に活躍したバンドの再結成、活動再開のニュースが続いている。そのきっかけは震災の復興のためのチャリティだったり、解散後の各メンバーの活動が一区切りついたから、という理由だったりする。もちろん、お金に困ったから昔の名前で小遣い稼ぎ、というのもあるだろう。賛否両論はあるけれど、理由はともかくファンが喜ぶのならまあ、いいんじゃないかとは思う。しかし、再結成後の活動があきらかに全盛期よりトーンダウンしているのを見ると、やはり複雑な気持になる。そこまでしなくてもいいのに、と思ってしまうのも事実なのだ。
    ネットでもよくある「再結成して欲しいバンド」なるアンケートで、その名前が必ず上位にあがる。しかし「再結成して欲しくないバンド」でも上位に名前があがるバンド、それが今回のお題目「BOOWY」である。正確には2つめの「O」にはスラッシュが入るのだがここではご勘弁。僕は過去のスタッフブログでもBOOWYのボーカリストだった氷室京介について取り上げたことがある。しかし今回のお題目はBOOWYそのものについて。実は僕自身はリアルタイムで彼らに熱狂した訳では無い。全ての知識は後追いなのだ。だからこそ思うところがいろいろとある。

    まず最初にBOOWYの歴史を簡単に説明しておく。
    1980年 共に群馬県高崎市の出身だった氷室京介(ボーカル)と布袋寅泰(ギター)が東京で出会い、バンドを結成。そこに同じく高崎市出身の松井恒松(ベース)が加入、その後に高橋まこと(ドラム)が加入し、BOOWYとなる。最初は他にメンバーを2人加えた6人編成だった。
    1982年 デビューアルバムを発表するもまったく売れず惨敗。その後メンバー2人が脱退、氷室、布袋、松井、高橋の4人体制になる。
    1983年 セカンドアルバムを発表するが、結果はまたしても惨敗。2枚目までアルバムが売れなかった場合、まずバンドは事務所から見離されてしまう。BOOWYもなかば追い出されるような形で事務所から契約を解除される。事務所に所属していないバンドはアルバムが出せる訳も無く、ただのアマチュアバンドと同じだ。彼らは仕方なく独立事務所を立ち上げ、アルバムが出せない分ライブ活動に力を入れていく。中古で購入したバンに楽器を積み込み、演奏できる場所があれば、それが地方のお祭りであっても出かけて行った。中古のバンはエアコンが壊れていたらしく、夏場の長距離運転は辛過ぎる。メンバーは少しでも直射日光を遮断できるのでは、と考えキッチン用のアルミホイルを車の天井に貼って運転していたという。もちろん何の効果も無いのだが、エアコンを修理するお金もままならない状態での音楽活動だったのだ。悪戦苦闘の日々ではあったが、ライブ活動を通して徐々に口コミで彼らの評価は広まっていく。
    1984年 そんな彼らにユイ音楽工房が目を付け、契約を結ぶ。
    1985年 再デビューアルバム(実質は3枚目となるアルバム)を発表、大きなセールスには結びつかなかったものの、好評価を得る。
    1986年 4枚目のアルバム「JUST A HERO」を発表。先行シングル「わがままジュリエット」がそこそこのスマッシュヒットとなり、彼らは「夜のヒットスタジオ」でテレビ初出演を果たす。そして11月に発表した5枚目のアルバム「BEAT EMOTION」がいきなりオリコン1位を獲得、シングルカットされた「B・BLUE」「ONLY YOU」も大ヒットを記録、彼らは一躍シーンのトップに躍り出る
    1987年 彼らの最大のヒット曲となった「MARIONETTE」を含む6枚目のアルバム「PSYCHOPATH」を発表、オリコン1位を獲得。しかし、この年の12月24日、渋谷公会堂でのライブ中に突然の解散宣言。
    1988年 4月の東京ドームでのラストライブを持って一切の活動を停止した。

    1982年のデビューから5年での解散。オリコン1位を獲得した1986年11月の「BEAT EMOTION」発売を頂点とするならば、そこからわずか1年1ヶ月での解散なのである。不遇の時代を乗り越えて頂点に立ち、名誉もお金も手に入れて、やっとこれからやりたいことが自由に出来る。そのタイミングでの突然の解散、誰もが耳を疑った。
    解散の理由についてはメンバーも明らかにしていないし、どこからも正式なコメントが出されている訳ではない。だから、これから話すことはすべて僕なりの想像でしかない。誤解や思い違いもあるだろうけど、そこはどうか容赦してもらいたい。


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  • [89] SS 2014/09/20 13:43

    PFCcV81F
    久しぶりにBOOWY行くゼ!


    今日ご紹介するナンバーは「Marionette」!
    と言ってもBOOWYを日本一のロックバンドに押し上げた、あのマリオネットではない…実は、初期の新宿LOFT時代に同名のナンバーが存在していたのだ。


    BOOWYはロックバンドとしては最低限と言われる、4ピース(4人組)のシンプルなバンドとして現在にも知られるが、実は結成当初は6人編成であり、更にごく初期は「暴威」と言う漢字の名で活動を行っていた。

    1982年秋に諸星アツシと深沢和明が脱退して、世に知られる4人になった訳だが…今回の「Marionette」は、その脱退したもう一人のギタリスト諸星アツシが作曲したと言う…諸星は氷室の群馬時代のバンド「ディスペナルティー」のギタリストでもある…

    余談ではあるが…BOOWY脱退後、深沢は俳優としての道を進み、正直「有名」とは言えないが2000年代になってもその地道な活動の形跡は確認された…


    一方の、ブルース系の音楽をやりたいとBOOWYを後にした諸星は、脱退後一年程して音楽の世界から足を洗ったらしい…一度1983年の4人編成になってからのBOOWYのライブにも、ゲストとして出演したらしいが…その後の消息は誰も分からない…死亡!?

    恐らくこの噂は、氷室とベースの松井の同級生で、詩人・画家であった「山田かまち」が、自宅で改造エレキギターを弾いてる最中に感電死してしまった事と混同してしまっているものと思われる…今考えればね(笑)


    ただ何れにしても、細々ながらも俳優を続ける深沢と違い、諸星の消息はどんなディープなファンでも分からないのだ…勿論当時の関係者やメンバーは知ってるのかも知れないが…正直めっちゃ気になる(笑)

    さて…結局このマリオネットは、音源としてどの作品にも入らず、数少ない初期のライブの映像のみで「幻のナンバー」として後世に残る様になったのだ…


    YouTubeで二つ音源を聴いた事あんだけど…個人的な感想は、曲調としてはオリメンである6人の時は、サックスが入る為に、ズチャズチャしたギターリフと合わさり、ちょっとスカっぽい印象が強い…上↑にある4人になってからの演奏だと、サックスがなくなり以前よりベースの重々しさが際立った分、ロカビリーなイメージになったかな…
    どちらにしても軽快なギターリフが特徴の、初期BOOWYらしいパンクなナンバーだね!


    歌詞は、ジャーナリズムに踊らせる奴らを皮肉ったもの…その部分だけは後の「日本一のロックンロールナンバー」として皆様にも知られる方のマリオネットと通ずる…



    Marionette


    TVをつけりゃいつもの顔が 仮面の下でニヤリと笑う
    そんなことさえ見ぬけねぇ奴は いつの間にやら奴らの手の中
    BAD NEWS NO REACTION
    このまま行ったら最後は そしたら俺たちゃMARIONETTE
    このペースじゃヤバイぜまったく

    海の向こうで奴らが叫ぶ 海のこっちで誰かが笑う
    デカイ電波も奴らの音さ 上の奴らは高見の見物
    BAD NEWS NO REACTION
    このまま行ったら最後は そしたら俺たちゃMARIONETTE
    このペースじゃヤバイぜまったく

    *UH! UH! AH! AH!奴らが
    *UH! UH! AH! AH!脅せば
    *UH! UH! AH! AH!俺たち
    *UH! UH! AH! AH!ヤバイぜ!

    *Repeat
    イイネ! 返信
  • [88] SS 2014/09/19 17:34

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説
    (平井堅編)
    イイネ! 返信
  • [87] SS 2014/09/18 13:16

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説
    (ビーバップ編)
    イイネ! 返信
  • [86] SS 2014/09/17 11:43

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説(チェッカーズ編)
    イイネ! 返信
  • [85] SS 2014/09/16 12:02

    PFCcV81F
    引き続き氣志團
    (ユニコーン編)
    イイネ! 返信
  • [84] SS 2014/09/15 12:52

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説(BOOWY編)

    ま、一番メジャーですなw
    イイネ! 返信
  • [83] SS 2014/09/14 09:54

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説(湘爆編)
    解る人には解るww

    <湘爆ネタ>
    ・1/6 LONELY NIGHT(アルバム名)  →  湘南爆走族OVAサタイトル 「1/5 LONELY NIGHT」
    ・雪之丞の編物ネタ → 湘南爆走族 江口の趣味は編物
    ・やんぴこんぴ(恋人) →湘南爆走族 行動や言動を中止する際、バックレ系に使用される。
    イイネ! 返信
  • [82] SS 2014/09/13 13:02

    PFCcV81F
    氣志團パクリ伝説

    <その他BUCK-TICK元ネタ>
    ・愛・愛・ONE MORE KISS( デリケトにキスして )→ BUCK-TICKーJUST ONE MORE KISS
    ・6 for Japanese Babies(雷電)→ BUCK-TICKーICONOCLASM → 5 for Japanese Babies
    ・(ベースとドラムが)腹違いのタネ違いの兄弟→BUCK-TICK ひぐち &ヤガミ兄弟
    ・氣志團現象 → バクチク現象
    イイネ! 返信
  • [81] SS 2014/09/12 11:54

    PFCcV81F
     ギタリストの布袋寅泰(52)が11日、新作アルバム「New Beginnings」(10月1日発売)の試聴会を都内で行った。スポニチ本紙などの取材にも応じ、ロックバンド「BOφWY」の盟友で、ステージ活動からの引退を表明した氷室京介(53)について言及した。


     氷室の表明翌日の7月14日、ブログで「せめて1曲でも 隣でギターを弾かせてほしい」とつづったが「無理やり隣で弾かせてくれとは言わないが、その思いは変わっていない」と強調。移住先のロンドンで引退宣言を伝え聞き「すごいびっくりした。耳の調子が悪いみたいで心配だ。ともに戦ってきた同志。氷室さんには氷室さんの考え方があるのだろう」と、両耳の聴力悪化を原因とする“幕引き”に理解を示した。

     氷室は来年、ラスト公演を予定。共演を熱望している布袋だが、自ら呼びかけるつもりはなく「自然の流れに任せたい」。一方で「できることであれば直接お話ししたい」とも語った。

     「BOφWYを再結成したいか」と聞くと、「僕はなんとも…」と言い、5秒ほど沈黙。「(BOφWYは)ファンのものでもあるが、(メンバー)4人のものでもある。あのころに戻れるかといえば、難しいかもしれない」と続けた。
    イイネ! 返信
  • [80] SS 2014/09/11 13:20

    PFCcV81F
    魔王
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  • [79] SS 2014/09/06 16:45

    PFCcV81F
    清志郎&教授
    シャフトはこのラインを狙った感あるよな
    イイネ! 返信
  • [78] SS 2014/09/05 12:17

    PFCcV81F
    すみれSeptember氏………左端は!?スティーブ衛グフッ
    イイネ! 返信
  • [77] SS 2014/09/04 13:30

    PFCcV81F
    BT…!?
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  • [76] SS 2014/09/03 17:11

    PFCcV81F

    ≫75

    ウケタwww


    イイネ! 返信
  • [75] k 2014/09/02 12:33

    ≫74

    ブライアンズタイム?
    イイネ! 返信