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実はこの日のライブでファンに解散を表明することは決まっていたのだが、それをどの段階で、どんな言葉で報告するか。それは氷室にすべて委ねられていたという。当日、会場はソールドアウト、それでもチケットを入手できなかった多くのファンが会場を取り囲む。ただならぬ緊張感の中、ライブは進行していく。熱狂の内に本編が終了し、アンコールに突入する。アンコールの1曲目が終わっても、氷室は何も語らない。アンコールでは2曲が披露される予定だったから、チャンスはもう次の曲でしかない。この日のライブは映像化されることが決まっていたため、カメラが回されていた。アンコール1曲目が終わって、一旦控え室に戻るメンバーをカメラが追いかける。控室内、椅子に腰掛けるメンバーもいれば、煙草に火を付けるメンバーもいる。そんな中、一人席を立つ氷室。それは通常のひと休み時間より短かったのだろう、驚いて後を追うメンバー。ステージへと向かう廊下を一人歩く氷室の表情をカメラが捉える。その表情は険しく重い。そしてステージ上にメンバーが揃い、氷室が口を開き、初めてバンドの今後について言及した。
氷室はここで「メンバーがそれぞれにできる音楽をやっていく」という言葉を使っている。そこには解散という文字は無い。そして話しながら何度か左後ろに位置する布袋の方を振り返っている。この様子を背後のドラムセットから見ていた高橋まことはこう話している。
「あのとき、もし布袋が氷室と目を合わせていたら、氷室はその場で解散を撤回していたと思う」
だからこそ解散という言葉を使わなかったのだと。もし布袋が目を合わせてくれたら、一瞬でも意思が通じ合えたなら、氷室はBOOWYを続けていけると考えのだろう。
しかし、布袋は氷室に背を向け、腕組みをして口を開かない。カメラが捉える布袋の表情からは何かを必死に堪えているように見える。
「俺はもう決めたんだ、後戻りはできないんだ。ここで振り返る訳にはいかないんだ」
その表情からは布袋のそんな叫び声が聞こえてきそうだ。そして目に涙を浮かべて布袋の背中を見つめる氷室。何度見ても息が詰まるような数十秒間。それはBOOWYの歴史にピリオドが打たれることが決定的になった数十秒間である。1987年12月24日クリスマスイブの夜のことだった。