2014年、女子高生が元交際相手の男性にストーキングの果てに刺殺され、インターネット上にわいせつ画像をばら撒かれた三鷹ストーカー殺人事件。事件発生から2年以上経つ今も、被告の池永チャールズ・トーマスへの判決は下っていない。今回は、そんな池永被告の知られざる生い立ちと、犯行に至るまでの心理的変化について取材した。
異常な言葉づかい
「リベンジ・ポルノ」という言葉を生んだ、三鷹ストーカー殺人事件。
池永チャールズ・トーマス被告(事件当時21歳)は、元恋人の女子高校生・Sさん(当時18歳)の裸の画像をインターネット上に流出させた後、自宅に忍び込んでペティナイフで刺殺した。これまで公判は二度行われたが、池永は独善的な証言をくり返した。
「(被害者に対して悪いという気持ちは)まだない」
「親(被害者の両親)の気持ちはわからない。頭では理解できるけど、感じない」
「彼女(被害者)が好きなので、彼女が直面したであろう恐怖や苦しみや痛みを味わってみたい。共感してみたい」
「(出所後については)これまでの20年がそうであったように、これからの20年も技術産業が革新されます。その中で考えるのはナンセンスでございます」
人を殺したことへの罪の意識は未だに抱けないし、遺族に対する反省の思いも本質的にはないというのだ。
もう一つ特筆すべきは、彼の異常な言葉づかいだ。たとえば、次はSさんを愛していたかという質問の答えだ。
「愛ではございません。愛というのは、もっとたっといものです。彼女にした愛はすべて返ってきたものでございます。恋愛ではございませんでした。恋情はございますが、愛してなどおりませんでした」
遺族を侮辱しているとしか思えない口調で、内容も支離滅裂だ。彼はこうした言葉づかいを「昔からそうでございます」と言うが、おかしいという認識すらない。
私は取材をすればするほど、池永が人間の皮を被った別の生き物のように思えてならなかった。どうやったら彼のような人間が育つのか。
その生い立ちは、闇に閉ざされたように暗い――。
10数年に渡る虐待
フィリピンのマニラで、池永は生を受けた。母親は日本に出稼ぎに来ていたフィリピーナ。仕事で知り合った日本人男性と結婚し、マニラで里帰り出産した後、乳飲み子の池永を実家に置いて日本へ1人で帰ったのである。
池永は1歳10カ月の時に、祖父母につれられて大阪の両親の住む家で暮すようになる。そこから壮絶な虐待が10数年にわたってくり広げられる。母親はフィリピン人クラブで明け方まで働き、池永を託児所や保育園に預けっぱなしにした。連れ帰っても、子供嫌いの父親が池永に手を上げたり、ベッドに縛りつけたりした。
4歳の時、母親は離婚するが、今度はMという男性を引っぱり込んで同棲をはじめた。Mは生活費をまったく入れない男で、池永に対して実父以上の虐待をした。
鉄を火であぶって体に押しつける、裸にして革のベルトで叩く、ライターの火で鼻の中をあぶる、水風呂に放り込む。さらに口でも「おまえはフィリピン人だ」などと人格を否定する言葉を浴びせつづけた。池永はMを恐れるあまり、病院の医師が虐待の痕跡を見つけて母親につげたところ、「(報復が怖いから)Mに言わないで」と嘆願したこともあった。
小学5年生の頃、母親はMと別れるが、次に付き合ったのは暴力団員だった。彼は母親との性行為を池永に見せつける一方で、母親に激しい暴力をふるった。殴る蹴るは日常茶飯事で、ワインのボトルで乱打して母親の顔を「パンダのように」腫れ上がらせたこともあった。
池永は母親に何度も離縁を勧めた。母親は同意して家を捨てて逃げるのだが、またすぐにその男とよりを戻して一緒に住みだす。するとしばらくしてDVがはじまるので逃げる。2、3年の間にそんな転居だけでも7回に及んだ。
母親が裁判所に提出した証拠の一部である。
「(暴力団員は)もともとやさしい人なので、変わるのではないかと思っていた。でもヤクザなので何をされるかわからない。逃げたこともある。暴力のあとは優しくしてくれたこともある。私がトーマスを家において帰らなかったこともある。殴られて痣になって、痣が治ってから帰ろうと思った。帰れば痣を見た息子が通報するので。その間、トーマスは1人で過ごしていた。ローソンでお弁当を買って食べていた。また電気が止まった時、1人でいたこともあった。寒くてかわいそうだった」
彼女が男遊びで4、5日帰らなかったことは、ざらだったそうだ。その間電気も水道も止まった暗い部屋で、池永は蝋燭に火を点けて毛布にくるまり、お腹が減ればコンビニへ行って弁当を恵んでもらい、体が臭くなればマンションの地下の共同トイレで体を洗っていた。
このように池永の幼少期の思い出はあまりにおぞましい虐待にまみれている。そしてこれが池永の歪んだ性格を生んだのだ。心理鑑定にあたった西澤哲(山梨県立大学教授)は、次のように語った。
「被告には、母親からの見棄てられ体験が顕著です。被告は母親の愛情を求めていました。しかし、当の母親の方は自分ではなく、次々に男をつくってそっちへ行ってしまった。被告はその男性たちから虐待を受けたことで悪性の自己観を持つようになった。アイデンティティの拡散状態に陥ったと思われます」
子供は親に愛されることで信頼とか愛情といった感情を培い、自分自身を形成していく。愛された喜びを知っているから愛そうとし、自分の気持ちを考えてもらって嬉しいと思った体験があるから人にもそうしようとする。それが人格形成というものなのだ。
だが、池永のように母親に見捨てられ、男から次々に虐待を受けると、そうした人間らしい感情を持てなくなるどころか、アイデンティティを抱くことができなくなる。相手の気持ちを考えるどころか、自分が何者かすらわからなくなるのだ。
冒頭の様な証言は、池永がふざけてしているのではない。本当に遺族の心情を想像できないから、そう語っているのだ。
被害女性と出会い意識変性状態に
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では、このゆがんだ人格と殺人はどう結びついているのか。西澤教授は語る。
「被告は被害者と会うまでは、鬱のようにいつ死んでもいいという考えにとらわれていました。小学5年生の頃からずっと希死念慮、つまり漠然とした死への憧れが生じていました。これはDVやネグレクトを受けた子供によく見られることです。ですが、被害者と出会ったことで、それがなくなって躁状態になり、英語、スペイン語、スポーツなどをどんどんするようになった。これは意識変性状態だと言えます」
「意識変性状態」とは、通常の意識状態とは異なる一種の興奮状態のことだ。初めて自分を理解してくれる女性を見つけたことで、池永は躁状態になっていた。だが、その彼女から別れを切り出されたことで、地獄に叩き落された気持ちになる。
「こういう状態だったので、別れた時の精神的なダメージは非常に大きいものがありました。自分が消えていく。消滅していくと思っていたはずです。これが過剰な怒りを生み出して、被害者を脅してでも関係継続を求めるということになったのです」
信頼していたからこそ、切り捨てられたという被害妄想を膨らませた。それが、池永の「殺害しなければ」という気持ちを生み出したというのだ。
他方、リベンジ・ポルノという行為は、いかにして説明されるのか。教授によれば、これも虐待の影響がたぶんにあるという。
「被告は自己観のなさが顕著です。自分で自分のことがわかっていないので、人の目に映る自分に固執する。被告は『自分が被告と交際していたという過去を記録として半永久的に残しておきたかった』と説明しています。社会に2人の関係を認めてもらえなければ、自分で自信を持って確信、肯定できない。自分がないから人に認めてもらうことで自分を確立しようとしたのです」
池永は物心つく前から親や男に自己を否定されつづけたことで、自分という存在に自信を持てなくなった。ゆえに、人に認めてもらうことでしか、自分の存在証明ができない。ポルノ画像を流出させたのは、2人の関係の存在証明だったというのだ。
にわかには同意しがたいことだが、くしくも法廷で池永はポルノ画像を流出させた理由について、西澤教授の見解を裏付ける証言を述べている。
「普通の写真では、それだけでは交際した事実はないと反論される、反駁されると思い、それでは親密な関係であるという証拠の裸の写真であればその余地を消すことができる。そのような気持ちでございました」
この事件は「リベンジ・ポルノ」という言葉を広めた。だが、2人の主張を信じれば、池永の行為は「リベンジ」ではない。自己のアイデンティティを確立するためにした「社会に認めてもらう行為」ということになる。
このような池永の異常な心理を分析したところで、遺族が納得するわけもない。遺族は池永の行為は情状に値せず、極刑を下すべきだと主張している。裁判官や裁判員も教授の主張に静かに耳を傾けはしたが、「同じ境遇の人が同じ犯罪をするとは思わない」という意見を述べている。
たしかに、虐待を受けた子供がみな池永のような人格になるわけではない。人には生まれつきの特性があり、それが様々な環境に影響されて形を変えていく。背の高い遺伝子を持ってやせ形の子供は、栄養を取って運動をすればスレンダーな長身になるが、背の低い遺伝子を持って太りやすい子であれば、栄養は脂肪となって身長も伸びない。それと同じように、子供が虐待によって被る影響にも人によって違いがあるのだ。
これまでの一審と差し戻し審では、池永の幼少期の体験はほとんど考慮されず、懲役22年という判決が下された。これが重いか軽いかは、人それぞれ受け取り方はちがうだろう。ただし、遺族からすれば、大切な1人娘を殺害された挙句に、冒頭のような理解不能な発言を聞かされれば、許せないという感情を抱くのは当然のことだ。それが池永の虐待体験のせいだとしてもである。
この事件によって何が残されたのか。遺族の怒りと、「リベンジ・ポルノ」という実態とは異なった言葉だけのような気がする。