事件,事故!!( ; ゜Д゜)

PFCcV81F

事件や事故等のスレッド。名前に恥じないカオスなスレ。


  • [11] ss 2014/04/03 22:40

    今日アンビリでやってたので。

    和歌山出会い系サイト強盗殺傷事件(わかやまであいけいさいとごうとうさっしょうじけん)は、2002年7月に起こった強盗殺人・強盗殺人未遂事件である。

    主犯は和歌山県打田町古和田の会社員・自称国際派モデルの女(2002年当時24歳)で、実行犯は和歌山市岩橋の無職の男(当時32歳)である。

    女は容姿端麗で明朗快活で、若くして結婚して2人の子供がいた。しかし夫が浮気したことから離婚し、子供たちを連れて実家に戻った。しかし子育てを母親任せにして自らは新たな男性を探すことに奔走する。そして出会い系で知り合ったのが、後に実行犯となる男であった。男は女に熱愛し、結婚を申し出るまでになる。しかし女は「自分の親は暴力団の組長である」と嘘を告げ、「父に結婚を認めてもらうためには組への登録料が必要で、毎月20万円出してほしい」とした。女は男が自分に熱愛しているのを逆手に取り、金を貢がせようとしていたのである。さらに女は「組員が死んで香典がいる」などあることないことを持ちかけて、次々と金を搾り取っていく。男は自らの生活を切り詰めて懸命に貢いだが、遂に貯金が尽きてしまった。そのため、闇金に手を染め始めたが、これが原因で自動車販売会社から解雇され、窃盗などの犯罪にも手を染めていく。

    女にとって、実行犯の男はあくまで金を貢がせるための存在でしかなく、実は出会い系を通じて別の大阪府の会社員男性(当時24歳)と知り合っていた。女は自らを国際派モデルと称し、男が貢いだ金で男性と豪遊した。男性との関係は順調に進んでいたが、この男性には姉(当時27歳)がいた。その姉は心臓が弱い病弱な女性だった。

    女は男性とその姉の3人で遊ぶようになる。しかし男性と結婚すれば、病弱な姉の面倒も見なければならないことに嫌気がさすようになった。そこで女は小鉄という自分の兄という架空人物、つまりは第3者を装って電話で自分の気持ちを男性に伝えようとした(女はプライドが高く、自分の気持ちを素直に伝えることができなかった)。ところがひょんなことから、この小鉄と電話で話していくうちに姉が小鉄を気に入り、会いたいと言い出すようになってしまった。

    女は小鉄役を男に演ずるように指示し、さらに姉を殺して死体を始末し金銭を強奪するように指示した。勿論、演じたら結婚する、と甘い言葉を述べてのことである。

    7月7日、女は姉に対し、小鉄に扮した男を出会わせた。そして女は男性と、男は姉と別々にドライブすることになった。男はドライブの途中で姉の首を絞めて殺害。さらにその遺体を高野山中でガソリンで浸し、半日をかけて焼き尽くした。奪った金額は3万5000円しかなく、そのうち女はガソリン代5000円を抜いた3万円を男に渡した。焼いた遺体は和歌山市内に持ち帰り、市内の橋から川に捨てた。

    殺害までしたにも関わらず、わずか3万5000円しか得られなかったことに女は憤慨し、「1人殺すも2人殺すも一緒だろ。金を新たに用意しなさい」と新たな強盗殺人を指示する。そして7月13日、男は以前勤めていた自動車販売店を襲い、社長(当時48歳)をサバイバルナイフで刺した。社長は重傷を負ったが、一命は取り留めた。

    社長の証言により、男は強盗殺人未遂の容疑で逮捕。共犯として女も同容疑で逮捕された。その後、警察の追及で余罪が次々と明らかになり、空き巣や車上狙いなど5件の窃盗罪をはじめ、姉に対する強盗殺人と死体損壊・遺棄から銃刀法違反、建造物侵入、そして女には男に県外への逃走を勧めていたとされる犯人隠避の容疑でも起訴されている。

    裁判が始まる前、男は弁護士に対して「僕は生きていていいのでしょうか」という手紙を綴っている。

    1審の和歌山地裁で検察側は「遊ぶ金欲しさに平然と人命を奪った。犯行は凄惨かつ猟奇的で犯罪性向が根深く、矯正は不可能。遺族らの処罰感情も激烈だ」として、両被告に死刑を求刑した。弁護側は死刑回避を求め、2004年3月22日の判決公判で両被告に無期懲役判決を下した。検察側は死刑回避を不当として、弁護側は被害者が1人であることから量刑不当としてそれぞれ控訴し、2005年1月11日の大阪高裁における控訴審判決で那須彰裁判長は「被告は遺族に手紙を出すなど謝罪しており、更生の可能性がある」(ただしあまりにも短絡的な犯行で死刑にも値するとされた。控訴審でも検察の求刑は両被告に死刑)として、検察側・弁護側の控訴を共に棄却した。男は上告せず、判決が確定。女は上告した。

    女の上告は2005年12月12日に最高裁で棄却され、無期懲役が確定した。
    イイネ! 返信
  • [10] ss 2014/03/22 19:40

    女子高生誘拐飼育事件



    昭和40(1965)年11月25日の夜。横殴りの雨が降る豊島区西武池袋線椎名町駅近くの路上を、
    友達と遊んだ帰りの女子高生(誘拐当時17歳)が、家路へと急いでいた。
    自宅近くに差し掛かった頃、突然後から男が駆け寄り金属製の靴べらが彼女の首筋に当てられて
    「静かにしろ!騒ぐと殺すぞ!まずお前の傘をたため!」と脅された。
    彼女は恐怖のあまり助けを呼ぶこともできず男の言葉に従ってしまう。
    男は彼女をレインコートにすっぽり包みこんで、近所の自宅アパートまで彼女を連れて行った。
    誘拐された女子高生は共栄女子商業高校3年のS子さん。
    男は「日野雅史」という偽名で翻訳家を自称していた角園九十九(誘拐当時43歳)。
    頭髪の薄くなった冴えない中年男であった。

    角園は大正11年に神奈川で生まれ、戦時中は海軍で中尉まで勤めていた。
    昭和22年には結婚し女児をもうけているが、やがて離婚。
    離婚後は定職を持たず、英語が得意なことから外国人相手に観光ガイドをするなどして生活。
    窃盗の前科が複数あった。
    角園は以前に見た映画『コレクター』(ウィリアム・ワイラー監督)で、男が別荘の地下室に
    美しい女学生を監禁するという内容に感化され、女性を誘拐して監禁するという妄想を英語で日記に綴っていた。
    その内容は
    「俺は孤独な男。だから”桃”を探さねばならぬ。それは白く熟れた甘い桃だ」
    「俺は若い女が大好きだ。また、豊満なのもいい。坂本スミ子のような女だ」
    といったものであった。
    実は角園には狙いをつけていた近所のOLがいて、
    「俺の生け贄が帰って来た。こんな夜中に。今のうちに楽しんでおくがいい。そのうちにかならずモノにしてみせる」
    と日記に綴っている。
    しかし、ある時覗きで目撃した彼女の弛んだ腹に失望し、新たな相手を探していたのであった。

    自宅アパートに連れ帰った後、角園はS子さんに手錠をかけ目と口には絆創膏を貼り、
    果物ナイフをかざして服を脱ぐように脅した。
    角園は裸にしたS子さんを強姦しようとするが、処女のS子さんが激しく痛がる為に断念。
    変わりにナイフを首筋にあてて口淫(フェラチオ)を強要した。
    この日から角園はS子さんに対して性交を何度か試みるがS子さんが痛がり拒絶した為失敗し、
    愛撫や口淫をさせることで欲望を満たしていた。
    誘拐翌日、S子さんは角園に手錠を外すように懇願し、角園もその言葉に従って手錠を外した。
    これ以降性交を強要する以外、角園はS子さんに対して比較的丁寧に接していて、
    誘拐4日目にはS子さんを1人残して大丸デパートへ出かけ、下着やワンピース、オーバー等の衣類、
    ミシンや布地なども買ってきてS子さんに与えている。
    こうして奇妙な同棲生活がスタートした。
    12月4日に2人は伊東の温泉旅館へ旅行に出かける。
    アパートに風呂が無い為、誘拐以来入浴できていなかったS子さんの機嫌を取るためであった。
    旅館で角園は偽名の日野雅史を名乗り、S子さんには「みどり」と名乗らせ、
    角園を「パパ」と呼ばせて親子を演じていた。
    (「みどり」とは角園の実娘と同じ名前であり、偶然なのか歳も近い)
    旅行後、2人の関係は変化を見せた。
    1月半ばになって、初めて角園は強引にではなくS子さんとの性交を果たす。
    この頃、角園はアパートの大家に玄関前に風呂場を建てる交渉をしたが断られ、
    S子さんに行水させる目的で大型のポリバケツを購入している。
    2人はたびたび一緒に外出していて、角園の腕にしがみついて楽しそうに歩くS子さんの姿を
    目撃していた管理人は、S子さんを角園の新しい恋人と思っていた。
    また角園は家具を買い揃えていき、「日野みどり」名義で口座を作ってS子さんの為に貯金までしていた。

    しかし半年あまりたった昭和41(1966)年5月18日。同棲生活は唐突に終わりを告げる。
    偶然S子さんを目撃した人の通報によって発覚、警察に逮捕されたのである。。
    逮捕される時角園は「その少女が『家に帰りたくない』と言うので、住所をたずねると自分のアパートの近くだった。
    『一緒に帰ろう』と言って連れ帰り、そのまま一緒に暮らし始めた。
    死に別れた妻にS子がよく似ていたので結婚するつもりだった。行方不明で騒いでるのは知っていたが、帰すつもりはなかった」
    と供述し、S子さんも「あの日、池袋駅で友達と別れたあと、なんとなく国電に乗って渋谷に来た。
    ハチ公の銅像前で雨に濡れて立っていると、「どうしたの?」と傘をさしかけたおじさんがいた」
    と保護した警察官に嘘の供述をしている。これは角園にあらかじめ口裏を合わせるように言い含めされていた為である。

    事件当時、マスコミや世間は「逃げる機会はあったのになぜS子さんは逃げなかったのか?」と疑問を抱き、
    その奇妙な同棲生活や保護時のS子さんの言動に好奇の目が向けられた。
    今日ではストックホルム症候群(犯罪被害者が犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、
    過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くこと)は広く一般にも知られているが、
    当時はストックホルム症候群の由来となった事件が起きる前(1973年発生)だったことから、
    S子さんの心理が理解できずに奇異に映ったのであろう。
    実際、保護後にS子さんは角園に日常的に「逃げたら殺す」と脅され、
    口淫を強要されてからは「もうこんな体では逃げて帰ってもしかたがない」と思うようになっていったと証言。
    また、「こんな体にした角園は自分の家も学校も知っている。逃げても追われるだけだ。
    そんなことになったら家の者も迷惑するし、自分一人が犠牲になれたいいのだ」と追い詰められてしまっていたという。
    (後の新潟少女監禁事件における被害者女性も、脅迫による自身と家族に対する危害への恐怖からあきらめが発生している)
    他にもS子さんは「脅されてはじめは逃げられなかった」「伊東に行ってからは帰る事をあきらめた」
    「あきらめはあったけれど、生活しているうちには楽しいこともあった」「服、下着、靴などを買ってもらった時には嬉しかった」
    「(角園が)貯金しているのも知っていた」等と複雑な心理状況を上申書で述べている。
    そうした心理状態があったゆえに、角園は力ずくでなく肉体関係を持てたのだと想像できる。

    保護された後、両親と再会したS子さんは「お父さん歳とったね、おかあさん、やせたのね。心配をかけてごめんなさい」と
    詫び、家に帰ってからは泣き崩れたという。。

    裁判で角園は懲役6年の刑が確定している。

    この事件は後に小説や映画にもなっていて映画は『完全なる飼育』として色々な監督や役者がやっている。
    個人的に好きなのは竹中直人が監督・主演の完全なる飼育がお薦め。
    イイネ! 返信
  • [9] ss 2014/03/14 21:36

    グリコ森永事件


    1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、かい人21面相と名乗る犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。

    その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。

    1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。

    2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。

    2005年(平成17年)3月に除斥期間(民法第724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。

    企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた。
    同時期に世間を騒がせた三浦和義のロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い。
    これだけ騒がれて時効になった完全犯罪は3億円強奪事件とこれが有名。
    ってかどっちも警察の怠慢な捜査が原因だと個人的には思うけど。
    イイネ! 返信
  • [8] ss 2014/03/12 23:47

    尾崎豊怪死事件

    1992年に尾崎豊自殺として扱われた事件。
    謎が多く、他殺説濃厚だが警察は自殺と断定。
    尾崎が当初全裸で傷だらけで民家に倒れていて通報を受けた警察が駆けつけ救急車を呼び病院へ。(自分で歩いて乗ったらしい)
    ってかこの時点で警察は事件性を調べないのもそもそもおかしくね!?

    次に病院ではICU入りしたのに妻が迎えに来て自宅に帰る。(おいおい、普通その状態じゃ病院から出さないだろwwそれに嫁もバカか!?)
    家に帰り暫くして死亡。(ま、そうなるよねw)

    死体解剖の結果、胃に即死量の2・5倍の覚醒剤反応あり、それによるODで死亡と説明。
    自殺と断定。

    2年後、自殺に疑問を持っていた尾崎信者達2万人が署名を行い警察に提出するも警察は再捜査は否定、却下された。

    7年後、フライデーが載せた尾崎の病院での写真が波紋を呼び覚ました。
    どう見ても外傷がボコボコにされた様にしか見えないからだ。
    しかしマスコミ,警察はだんまりを決め込む。

    2010年、尾崎を殺ったと名乗りでた某暴力団の記事が雑誌にのる。

    他色々あるが書ききれないので詳しくはググって下さいませ。

    色々調べると完全に嫁が怪しいんだけど(  ̄▽ ̄)

    この事件は学会絡みらしく警察もマスコミもだんまりなのはそういう事らしい。
    画像は病院に運ばれた際の疑惑の写真。
    イイネ! 返信
  • [7] ss 2014/03/10 00:16

    三重女子中学生殺人事件で最近捕まった18才の容疑者。
    テレビ等では未成年の為、名前や顔等は非公開だがネットは容赦ない。
    名前は千石達也だか拓也。色々な意味で恐ろしい時代ですな…。
    イイネ! 返信
  • [6] ss 2014/03/05 22:29

    神戸児童連続殺傷事件

    酒鬼薔薇聖斗で有名なこの事件、書く事が多すぎて面倒なのでググって見てね♪(苦笑)

    類を見ない猟奇的事件で類を見ない異常な人格を持った犯人。
    酒鬼薔薇の書いた絵が精神異常を物語ってるので下に画像貼っておきます。怖っ…。
    只、酒鬼薔薇(本名 東慎一郎)は一度見た映像や瞬間をいつでも鮮明に記憶,再生出来るという10万人に一人しかいないという特殊な脳の精神病を持っていた。
    現在シャバにて羽を伸ばし中。
    イイネ! 返信
  • [5] ss 2014/03/02 03:02

    ブラックダリア事件
    (閲覧注)
    1947年1月15日、黒い服を好んだことから「ブラック・ダリア」の通称(アラン・ラッド主演の映画『The Blue Dahlia』のもじりである)で知られていた女優志願の女性、エリザベス・ショートの死体がロサンゼルスで発見された。

    死体は激しく損壊しており、胴の部分で2つに切断されていたが、洗い清められており、犯人につながる証拠は発見されなかった。また、事件発覚後に新聞社にブラック・ダリアの所持品が送りつけられてきたが、指紋は検出されなかった。

    事件は非常に注目を集め、約1ヶ月にわたって『ロサンゼルス・エグザミナー』のトップ記事を飾り、500人に及ぶ自称犯人やその関係者が出頭するほどだったが決め手に欠けたために迷宮入りし、2014年現在も未解決である。

    因みにこの事件を描いた映画,ドラマ,小説,絵画等数多くある。
    イイネ! 返信
  • [4] ss 2014/03/01 01:14

    Jack the ripper

    1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。神経症患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明。

    切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。

    ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れている形跡がある事から、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたという説もある。

    「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。
    イイネ! 返信
  • [3] ss 2014/02/26 22:44

    ジョンベネ殺人事件


     1996年2月25日、おりしもクリスマスの夜ジョンベネ嬢は両親や友人たちとともにクリスマスパーティーを楽しみ自宅に戻る途中、車内で寝てしまったため家に着くと父が彼女を抱き抱えてベッドまで
    連れていったという。残念ながらそれが生きているジョンベネ嬢を見た最後の姿となった。
     翌朝、娘がベッドにいないことに気づいた両親は屋内の階段で手紙が置かれているのを発見する。
     「午前8時から10時までに連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。身代金11万8000ドルを用意しろ」というメモはラムジー家にたまたま置いてあったメモに3枚にわたって書きつづられていた。
     母親はただちに警察に連絡し、少女誘拐事件として捜査本部が設置される。
     その後家族や捜査員、そして急を聞いてかけつけた友人たちが屋内を捜索したのだが、このとき家族と友人たちの介入を見過ごして現場保存を怠ったことが捜査本部のミスとして重くのしかかってくることとなる。
     犯人のものと思われるメモの予告時間を過ぎた午前10時になっても連絡はなかった。
     そして念のためもう一度屋内を捜索したところ、前回の捜索で唯一見忘れていた地下室で変わり果てたジョンベネ嬢の遺体が発見されたのである。
     彼女は6歳という未熟な幼女でありながら性的に暴行されており、口はガムテープで塞がれ頭を鈍器のようなもので殴られた後があった。首には絞殺の紐痕があって彼女の死因は絞殺による窒息死であると鑑定された。


     ラムジー家は地元の名士で父ジョンは会社を経営しており自宅は部屋数が15もある豪邸だった。
     しかし逆にいえばたかだか15部屋しかない個人宅である。それを警察・友人含め十数人で捜索し、見忘れた部屋があったことに当時違和感を覚えたものも多いだろう。
     この後脅迫文が男が内容を言い女が書いたなどと鑑定され、また犯人の要求額が父親ジョンが受け取ったボーナスの額とほぼ同額であった(ラムゼー家の経済状況を考えれば要求額は低額すぎた)
    ことから警察の容疑は次第に両親に向き始める。
     警察に疑われていることに気づいたラムゼー家はその後弁護士を雇い捜査に協力しなくなった。  
     ジョンベネ嬢が発見された地下室の窓の外には鉄柵があり、そこに複数の人間を思わせる足跡が発見されるも父親犯行説に傾いていた捜査本部はそれを重視しようとはしなかった。
     この事態に両親は記者会見で潔白と一刻も早い犯人逮捕を訴えるが、泣き叫ぶでもなくボンヤリした母パトリシアと終始うつむいたままの父ジョンの印象は最悪であり、ますます疑いを深めるという結果に終わった。

     捜査本部は「証拠はそろっている。もうすぐ犯人を逮捕する」と強気な声明を発表したが現実は厳しかった。
     何より初動捜査の現場保存のミスが響いており、特にジョンベネ嬢の遺体は啼いて取りすがった両親の涙で衣服からの付着物の採取が難しい状態にあったのである。
     さらにジョンベネ嬢の殺害から数カ月後、ジョンベネとも面識のあるダンス教室の生徒が暴行され誘拐されかかるという事件が発生する。
     暴行目的で身代金には全く触れない、また犯行後家の中に隠れ窃盗した形跡もないなど幼児性愛者の犯行であることが予想され、ジョンベネ殺害事件の犯人ではないかと憶測が流れる。
     この日ラムゼー一家にはアリバイがあり、この事件後彼らに対する容疑は薄れたとも伝えられる。
     当初内部犯行を予想していた捜査本部は一転外部犯を想定した捜査を開始したが時すでに遅かった。
     証拠はあらかたが散逸しており目撃証言もなく、さらに心証を極限まで害していたラムゼー家が捜査に協力することもなかった。
     その後も家族内犯行説は根強く捜査本部に残留していたが、DNA鑑定の結果はシロであり、捜査にあたっていたレーシー検事は「これまでラムゼー一家を疑いの目で見てきて申し訳なかった」と公式に謝罪している。
     また2008年7月9日にも新たに精度の高いDNA検査が行われ、犯人の体液のDNAはラムゼー家の誰とも一致しないことが判明した。
     当時捜査にあたっていた元捜査官の中には今なお内部の犯行であることを断言するものもいるが、科学捜査的にはもはやラムゼー家の無罪は動かない事実である。

     近年、私がジョンベネを殺害した。
     と自白するものがおり、真犯人現る!と報道が過熱したが結局DNAの鑑定の結果はシロ。
     こうした重大犯罪では自らに箔をつけるために実は自分が真犯人だと名乗り出ることが多いがこれもそのたぐいなのだろう。
     有名な切り裂きジャックなどは自分が切り裂きジャックだと名乗った犯罪者の数が有象無象を含めて百人を超えたという。


     実の娘を幼くして失ったにもかかわらず犯人扱いされ、さらに父ジョン氏などはタブロイド誌に幼児虐待や幼児性愛者であるかのごとく報道されたこともありラムゼー家は住み慣れたボルドーからの引っ越しを余儀なくされた。
     2006年6月には母パトリシアが卵巣癌を再発させ他界。もともと彼女は1993年にこの卵巣癌を患っており、ジョンベネ嬢が様々なコンテストに幼くして参加したのも彼女の身体が元気なうちにという事情もあったという。
     すっかり年老いて白髪になった父ジョンはインタビューにこたえ「自殺することによってこの苦しみから逃げたかった」と語った。
     真犯人が別にいるとすれば彼の苦しみがいかばかりであったか察するにあまりある。
     この事件を見ると管理人は香川・坂出三人殺害事件を思い出す。
     祖母の家に泊まりにいった孫二人と祖母が大叔父に惨殺された事件だが、事件当時は父親を疑う報道の偏向があまりにひどかった。
     父親は彼を疑う発言を繰り返したみのもんたに「オレが殺したんか」と問いかけたがみのが番組内で謝罪することはその後一度としてなかった。

     もっとも、真犯人が見つからない限り父親の容疑は永久に晴れることはないだろう。
     だが今後真犯人が見つかる可能性は極めて低い。
     特にこうした長期化する犯罪ではすでに犯人が死亡している可能性が高くなるからだ。
     実際にグリコ・森永事件や三億円事件などのコールドケースでも被疑者が死亡してしまっているためにそれ以上捜査が進まないケースがあるという。
     
     
     ジョンベネ事件で捜査本部が「もうすぐ犯人を逮捕する」と発表したその翌日、1人の男が自殺した。
     26歳の犯罪歴のある男だった。
     しかし自殺したというにはいささか不自然な姿勢で銃を撃っており、念のため体液を採取したがジョンベネ事件の犯人のDNAとは一致しなかった。
     現在この男が犯人ではないにしろ事件に関するなんらかの情報を握っていたのではないか、と言われているが後の祭りである。

     
     いったい誰がジョンベネ嬢を殺したのか。
     犯人は単独なのか複数なのか。
     犯人は幼児性愛者なのか、あるいはラムゼー家に対する怨恨なのか。
     どんな犯人であるかという青写真すら捜査本部は現在もなお描くことが出来ずにいる。
    イイネ! 返信
  • [2] ss 2014/02/24 18:26

    佐世保小6女児同級生殺害事件

    2004年6月1日午後、長崎県佐世保市の小学校で、6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付けられ、死亡した事件である。小学生の女子児童による殺人事件でかつ学校が舞台であり、世間に大きな衝撃と波紋を広げた。

    被害者の死因は首をカッターナイフで切られたことによる多量出血だった。文部科学省ではこの事件を長崎県佐世保市女子児童殺害事件としてこれについての談話を発表している。

    被害者女児は当時の毎日新聞佐世保支局長の娘であった。


    【事件の経過】

    犯行を行った加害女児と被害者は、お互いにコミュニティーサイトの提供するウェブサイトを運営し、パソコンでチャットや、掲示板に書き込みをする仲であった。犯行の動機について、加害女児はウェブサイト上の掲示板などに身体的特徴を中傷する内容を書かれたことを挙げている。しかし、加害女児を良く知る第三者は、客観的に言ってそのような身体的特徴があるなどとは全く感じられない、認められないと話している。

    後日わかってきた事件当日の様子は、報道によると次の通りである。

    加害女児は被害者を学習ルームに呼び出したあと、そこでカーテンを閉めて床に座らせ、手で目を隠し首を切りつけた。被害者の首の傷は深さ約十センチ(普通の大人の首の太さは直径で13 - 15cmぐらい)、長さ約十センチになり、手の甲には、骨が見えるほど深い傷があったという。切りつけたあと、約15分間児童が現場にとどまっていたこともわかっており、死亡するのを確認したと思われる。

    加害女児が前夜に見たテレビドラマ「ホステス探偵危機一髪6」でカッターナイフで人を殺害する場面があったことから、その後、各テレビ局が殺人ドラマの放送を自粛する事態にもなった。また、加害女児が熱中していた「バトル・ロワイアル」に似た場面があることもあり、事件への影響も指摘されている。この影響で、DVD『バトル・ロワイアルII【特別編】REVENGE』の発売延期を余儀なくされた。
    事件後、加害者女児は収容施設でアスペルガー症候群と診断された。

    事件後、ネットではこの加害者女児をアイドル化させ「ネバタタン」と呼ばれている。グーはネバタタンでググってみると沢山出てくる。
    ネバタの由来は写真で着ているパーカーから。
    写真は左が被害者、右が被害者。
    ネバタタンは現在成人し日常生活をどこかで送っている。
    イイネ! 返信
  • [1] ss 2014/02/23 23:31

    因みにタイトル下の画像はリベンジポルノなる言葉を流行らせた女子高生殺人事件の池永チャールストーマス容疑者と犠牲者のさあやさん。
    イイネ! 返信